ビーズドール 桐壺の更衣


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※桐壺の更衣について、弘徽殿の女御が愚痴をこぼし解説しています。

正面から

弘徽殿(こきでん)の女御:あの女(↑)、更衣のくせに本当に生意気だわ。
「嫌がらせを受けるのも自分が帝のいちばんの寵妃だからよ、むしろ誇らしいわ」
とでも思っているんだわ。
あああーーーっっっ!!!憎らしいいいーーーっっっ!!!!(怒)
↑きっとそうは思っていないですよ、弘徽殿さま?

横から

弘徽殿:あんな金の扇を持って、胸張って歩くなんて何様のつもりよ!?
↑胸張ってないですから…だいたい扇は金色じゃないですし、
弘徽殿さまこそ、そんなに御簾の側に寄ってしまっては…
外から丸見えですよ。

後ろから

弘徽殿:まあ、品のないこと。肩を揺らしながら風を切って歩いて行ったわ。
↑そんなことしてないですから(汗)


(管理人の思う、弘徽殿の人物像をこちらにまとめてみました(笑))




唐衣裳で盛装した姫君もぜひつくってみたかったので、
桐壺の更衣に正装の装束を着せてみました。
裳と唐衣があると、まさに「十二単」という感じがします。
管理人は、桐壺の更衣が帝のもとに行くときには正装だっただろうと思っていますが、
妃クラスの女性たちは、普段の日は帝の前でも平服(袿姿)だったらしいとも…
実際のところどうだったのでしょうね?

唐衣と裳をどのように付けるかは、結構悩みました。
別に作って袿に重ねると、重くなりますし、予算も手間も…
結果「マトリョーシカ方式」にしました!!
エッ、何って…
袿も唐衣も裳も、全部重ね合わせたような1枚の図案にしてしまうのです!
「こけし方式」と呼んでもいいかもしれません。
木彫りの人形の、服は表面に絵として描かれているような…あんな感じです。

唐衣は現在、前身頃の方が後ろ身頃よりも長くなっていますが、
平安時代ごろは長さに違いがなかったとも言われているようです。
今回は、前後の長さを同じにしてみました。

裳の小腰(前で結ぶための紐)が、
唐衣と同じ生地で作られるようになったのは
室町時代以降という話がありますので、
今回はあまり気にしないで別の色で作っています。

裳は唐衣の下に着けているようにしました。
平安時代はそうだったらしいので…。

着物の模様には、あまり深い意味はありません(笑)
ですが一応↓
唐衣…桐の花のイメージ
裳…菱形っぽい模様をなんとなく(笑)
袿…なんとなく丸い模様
「なんとなく」ばかりでゴメンナサイ。
装束の形にはそれなりにこだわるようにしていますが、
柄は(色も)いつも適当です…

……。
「こだわった」と書いておいて何なのですが、装束の形も嘘八百が多かったり。
平安時代の初期なら、小袖は着ていないはずですし、
長袴も本来ならズボンのように2つにわかれているのです。
ビーズドールにする都合でイロイロ変更したので、そのあたりはご容赦を!

うーん…
そもそも、桐壺の更衣の時代は
唐風の装束から日本風の装束に変化していく頃に当たるらしいので、
実際はどういう衣装を着ていたかも分からないんですよね。
ああ…


図案と材料はこちらで紹介します。


2011年9月10日公開
2012年11月10日更新



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